昨年11月末、The Smileのコンサートへ。場所はミッドタウンにあるHammerstein Ballroom。その存在さえ知らなかった会場は、過去のRadiohead やThom Yorke 単独ツアー会場に比べてかなり小規模。内装が古く、バルコニーには質素な鉄パイプの折りたたみ式椅子が並んでいる。そのたよりなさに不安が過ぎったが、思いもよらない素晴らしい音響で杞憂に終わる。音響の悪い会場を選ぶなんて、彼らに限ってそんなことは概ね、いや絶対にあり得ない。Thom Yorke、Jonny Greenwood、疑ったりしてすまぬ。
いまやすっかり仙人のような風貌のThom Yorkeの一段と冴えた演奏と声音。下を向いたままひたすらに演奏するGreenwoodのしびれるカッコよさは相変わらずだ。それにしても、デビュー当時からほぼ全く変わらない彼の姿には、目を瞠るばかり。
初めて聴く曲がいくつかあった。突拍子もない複雑なリズムで形成された曲でもピタリと息のあった正確な演奏。こんなにも長い間第一線で活躍し続けていることにも、毎回すぐに完売するコンサートチケットにも、大いに納得。多人数が長時間集う場所に来るのはパンデミック以来初だったので、落ち着かない気分のまま出向き、会場では飛行機内でしか使用したことのないKN95マスクを装着した。だがコンサート後は霧が晴れる思い。久々にいい音に身を浸すことができた。
外に出たときには真夜中近くだった。不意に空腹を覚え、店を探したが、近場で唯一24時間営業の店があるのはKorea Townのみ。あきらめてタクシーをつかまえて帰路に就きながら、パンデミック以降、閉店時間を早める飲食店が増えているという新聞記事のことを思い出し、合点がいった。もはや私の知っている「眠らぬ街」ニューヨークは存在しない。全然寂しくないといえば嘘になるが、私にとって変化とは愉しむべきものということのほうが勝る。
以前「ゆらぎ 1/f」について書いた。生命現象や自然現象の変動にはP∝fn (n=-1)すなわち1/f 特性といわれる調和のとれた不規則なリズムが隠されている。川のせせらぎ、揺れる木漏れ日、心臓の鼓動など。人も自然もゆらぎながらその複雑性を調和させている。変化は自然現象であり、人間が自然と同調していることの証。
時代は移りゆく。旅はつづく。