中学生のとき、夜更けになるとFENという米軍基地発信のラジオを聴いていた。コマーシャルが入らず、ずっと音楽だけ流れているところが気に入っていた。夜遅い時間帯になると、小さなステレオコンポに備付けのラジオでも聴くことができたのだ。夜間は飛び交う電波が少なかったからなのか、理由は定かではない。夜中なのでボリュームを絞り、小さい音量ではあったが、雑音もほとんど入らないクリアな音をキャッチできた。
ラジオから流れる曲と曲の合間や、曲の途中から音を繋いで頻繁に流れていたのが、ストーンズのShe’s A Rainbow だった。担当DJのお気に入りだったのだろうか。当時は英語を全く聞き取れず、洋楽の知識もなく、アーティスト名も知らずに聴いていたのだが、この曲はキャッチーなメロディーや歌詞が覚えやすく、よく口ずさんでいた。
それから3年後に渡米することになるとは、知る由もなかった。当時そんな話は、持ち上がってさえもいなかった。
渡米後一年半ほど、サンフランシスコ郊外の母の家に身を寄せていた。
その家ではいつも、玄関横のフロント・ルーム(客人をもてなす部屋で、フォーマル・リビングルームなどとも呼ばれる)に入り浸っていた。その部屋には、古いが良い音を出す音巨大スピーカーがどっしりと構えていて、母の再婚相手のBillおじさんの、60〜70年代ロックのレコードコレクションが置いてあり、それらを片端から聴いた。
あまり広くはない客間をシェアしていた姉とは、よく仲違いした。そんな時も、寝具を持ち込んでフロントルームに逃げ込み、ヘッドホンから流れる音楽に聴き入りながら眠った。
フロントルームで眠ることを母が良くおもっていないことは知っていたが、おじさんが味方してくれたので、気兼ねなく入り浸った。もっとも、当時から反骨精神旺盛な私は、別に悪さしてるわけではないのだから放っておいてくれという気持ちだったので、例えおじさんに味方してもらわなかったとしても、構わず音楽を聴き続けていただろうと想像する。年齢的なこともあり反抗的で生意気盛りだった私は、当然母や姉、父違いの妹ともソリが合わなかった。というより、特に気を遣って無理に合わせようとしなかっただけなのだが、おじさんとは言葉があまり通じなくても、なんとなく気が合った。それは音楽のおかげだったといえる。
とにかく、そんなふうにしてレコードコレクションを網羅していたときに、ピンクフロイドなどに混じって並んでいたストーンズのアルバムにこの曲が含まれているのを知った。その時に初めて曲のタイトルを知ったのだが、何も知らずに曲だけを聞いていた頃のイメージ通りのタイトルだったことに、夜中に独り興奮したことを、まるでつい昨日のことのように想起する。
違う時代に作られた音楽が、時を超えて1人のティーンエイジャーの心に寄添うこと。あれからずいぶん遠くへ来たけれど、いつだって音楽が傍にあった。全ての音楽に感謝と敬意を表して。
Rolling Stones – She’s A Rainbow
ストーズを象徴している曲だと思います。
今聴いてもキラキラしてます。
ありがとう^^
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