追憶のプリズム

親戚のことを、それぞれの飼い犬の名で呼びわけていた。一人はマルチーズのサリー、もう一人はポメラニアンのレオを飼っていて、サリーのおじさん、レオのおじさんというように。奥方やガールフレンドのことはサリーのおばさん、レオのおばさんと呼んでいた。

7歳から2年間ほど、姉と2人レオのおじさんの家に身を寄せていたことがある。

レオのおじさんは釣りが趣味のおっとりした優しいひとだった。わたしたち姉妹のことを本当によく可愛がってくれて、海やプール、遊園地などいろいろな場所へ連れて行ってくれた。会うたびに「おじさんちの子になるか?」と言いながらぎゅうぎゅう抱きしめられた。私も姉もレオのおじさんのことが大好きだった。

お世話になっていた当時、レオのおじさんはガールフレンドと一緒に暮らしていた。今回は、追憶のなかに散らばるレオのおばさんについての断片を繋ぎ合わせてみたい。

レオのおばさんは華のある女性だった。いつでも綺麗にしていて、華奢で、いい匂いがした。低音で聞き心地よい透き通る声を持つ、可憐なお花のような、お化粧をしていないときの頬に青っぽい血管が透けてみえた、儚い印象のひと。わたしがティーンの頃から香水を纏う習慣があるのは、彼女に影響をうけたのだと思う。

レオのおばさんが愛用していたシガレットケース

彼女が幼い私を一人にしたことは一度もなく、どこへでも一緒に連れて行ってくれた。学校から帰ってきて、姉か叔父が帰宅するまでのあいだ、出勤前に髪をセットしに美容院に行く彼女と一緒に外出するのが日課だった。(彼女がバーに勤めていたことは、大人になってから理解した。)美容院に行く前に本屋に立ち寄り、彼女の読み物と一緒にわたしにも絵本や塗り絵、子供向け雑誌などを買ってくれた。

彼女の趣味はソーシャルダンスで、スタジオにもよく一緒に連れて行ってくれた。小柄だが姿勢が良く、着物やドレスなどを颯爽と着こなす美しい彼女に手を引かれ一緒に歩くのは、子供ながらに誇らしかった。

学校から戻ると、ケーキなどおやつを必ず用意して待っていてくれた。姉の修学旅行には、新しい旅行鞄と洋服を買い揃えてくれたり、私たちの栄養バランスのためにとヤクルトミルミルの定期便を手配してくれたり、慣れない料理をして運動会や遠足の日にかわいいお弁当をつくってくれたり、自分の子供のように可愛がってくれた。私たち姉妹が1番子供らしくいられたあの頃の思い出は、鮮明に脳裏に焼きついている。

レオのおばさんの姉宅へ遊びに行くのは、あの頃の楽しみのひとつだった。そのひとはシングルマザーで、わたしたち姉妹と年齢の近い姉弟がいて、いつもご馳走を用意してもてなしてくれた。

いつのころからか、その家に行くと、新しいお客さんに出くわすようになった。その新しいお客さんとレオのおばさんが、ときどき遊園地などに連れて行ってくれるようになった。

その新しいお客さんは、がっしりとした身体つきの男性で、学校でいじめられていないか気にかけてくれたり、出歩くときはいつも必ず幼い私の手を引いてくれた。

そのおじさんの大きな手は、指が2本なかった。欠けていたのがどの指だったのか思い出せない。初めて手をつないだとき驚いて、指のない部分を子供特有の無遠慮さでマジマジと見つめたり触ったりするわたしを、おじさんは何も言わずニコニコして見ていた。

いつだったか、いつもはジャケットを着ているおじさんがめずらしくワイシャツ姿でわたしと姉を近くに呼び寄せ、誰にも言わないようにと前置きし、おじさんの大切な宝物を見せてくれたことがあった。それは背中に広がる見事な刺青で、色鮮やかで綺麗だと思ったことをよく憶えている。

そうするうちに、レオのおじさんはいつのまにか独りになっていた。レオのおばさんがいつ出て行ったのか記憶にない。

おばさんに会いたくて、姉とふたりでおばさんの姉宅をこっそり訪ねたことがあったが、おばさんは遠くに行ったとだけ聞かされた。

レオのおばさんは、レオのおじさんといるときも、刺青のおじさんといるときも、いつも心から楽しそうに笑っていた。

レオのおじさんとおばさんが喧嘩しているのを見たことは一度もなく、2人はいつだって仲よしだった。彼女はレオのおじさんのことを嫌いになったのではなくて、レオのおじさん以上に好きなひとが出来てしまっただけなのだと思う。

それからしばらくして、おばさんがレオのおじさんのところに戻りたがっていることを、祖母と親戚のだれかが話しているのを小耳に挟んだ。子供は意外と大人の会話に聞き耳を立てていて、内容もしっかり理解しているものなのだ。

それから幾多もの季節がめぐり、レオのおじさんはやさしい看護婦さんと結婚した。

<本日の1曲>

The Beatles – Don’t Let Me Down