ハミングバード 人付き合いの極意

ハミングバードをはじめて見たときの衝撃を、いまだにありありと覚えている。

それは、サンフランシスコから車で40分ほど北上した長閑な街にある母の家庭に、渡米直後1年ばかりのあいだ滞在していた10代後半まで遡る。

とある午後、英語学校からの帰り道。大きなハチのような何かが空中に静止していた。そっと近づいて観察してみると、ハチではないことは確認できたが、鳥にしては小さすぎる。その生き物の顔とおぼしき部分には、一角獣のツノのような形をしたものがにゅっと生えていた。さらに近づいて凝視してみると、ツノのようなものはどうやらクチバシだったらしく、筆者の背の高さ(167cm)ほどの茂みに咲き乱れる花の蜜を吸っている様子。羽があるのも見てとれた。空中で静止しているように見えたのは、あまりにも高速で羽ばたいていて遠目には羽が見えなかったからだ。ギラギラと照りつけるカリフォルニアの強烈な陽光の下、白昼夢に惑わされたのではなかろうかと自分の目を疑うほど現実味に欠ける奇妙な容姿のそれは、どうみても妖精にしか思えなかった。

急いで家に戻り、興奮して母に妖精のことを話した。

すると、「それはたぶんハミングバードでしょ」と素っ気ない、つまらなそうな、そんなことも知らないの?的なニュアンスを含む返事がかえってきた。会話を続ける気力も夢見心地な興奮も急速に萎んだ。

翌日図書館へ行き、図鑑でハミングバードを調べてみると、写真にはあの妖精が写っていた。なんとなく少しがっかりした気分になった。

<筆者がみたのはたぶんこの種: Black-Chinned Hummingbird>

人付き合いの極意

他者に自分の常識や理想を期待することは、もうずいぶん昔に止めた。

ハミングバードの件は、母に纏わる数あるエピソードのうちのひとつでもある。母とのことはcomplicatedな諸々の事情があるのでここでは触れないが、理想や常識を他者に期待するのを止めることで人づきあいがスムーズに運ぶことを、母という人を知る過程で学んだ、とだけ書き記しておく。

母とは17歳のときに再会した。再会当時は特に、お互い未知の部分が山ほどあったのは当然のことだが、それは結局のところいまだにあまり変わらず、今後も距離を縮めることはおそらく不可能かと思うのだが、それはそれでいいと思っている。筆者の母は育ててくれた祖母以外にいない、そのことこそが筆者の人生にとっては大切であり永遠の真実であることを知っている。それで十分だ。「年をとってからの子育ては大変なこともあったけれど、とーっても楽しかった」いつかの祖母の言葉が蘇る。

親族間における確執は、親だから、子だから、姉妹だから、親戚だからこう在るべきという各人の思い込みと現実のギャップから生じるものであり、またそれはあらゆる人間関係にも通ずる。夫、嫁だから、義父母だから、友人だから、彼氏、彼女だからこうあるべきなどというのは幻想に過ぎない。人間というものは筆者自身も含め自分が正しいと思いがちな生き物であり、それがあらゆる対人葛藤の原因なのではないだろうか。

モラルは別として、 万事における正否は流動的且つ無きに等しいものなのだということを念頭に置き、このまま引き続き残りの人生を謳歌したい。

IMG_0914
昨年のいまごろはこんな光景がごく当たり前だったニューヨーク すでに懐かしい光景
DSC_0574
かつてのハイスクール悪ガキチームもすっかり大人に。。。奥に写る麗しきR夫人と白髪頭のS夫妻は東京、その隣の赤毛のニンジンちゃんKはカナダ、手前のが夫。住む場所は違えど年に一度は東京やカナダでリユニオンし文句言い合いながらなんだかんだいっていまだに仲良しの彼らみていると、男同士っていいなと思うオレ。ビルボードで長年音楽ライターとして活躍するSは我が家の音楽情報塔。
DSC_0476
いまはなき夫の実家を最初で最後に訪れたときの一枚。当時すでに誰も住んでおらず、諸々の手続きを済ませに帰る夫について行ったカナダだったが、空気が澄み切っていて、食事が口にあったこと、雨天や曇り空の多いところもとても気に入った。
DSC_0584
ハチみたいな鳥がいたってちっとも不思議じゃない 今ハミングバードに遭遇していたとしたらそう思うのだろうか。。。いやきっとあのころと全く同じ反応を示すだろう

<鬱蒼と生茂る緑とエキゾチックな植物に覆われたアマゾン秘境。ひんやりした霧が流れるなか、色とりどり美しい羽を持つ鳥たちやそのほかいろんな動物たちの鳴き声ではじまるこの曲をお楽しみください> Harbie Hancock – Watermelon Man