最近、ニューヨークを離れる方向で準備を開始した。
この街がコロナによる打撃を受けたせいではなく、個人的な思想が理由だ。
差別的罵声
ニューヨークにコロナが影を落とし始めたころ、中国発祥の流行病説が叫ばれることにより、このリベラルな街でもアジア人への風当たりが日に日に強くなっていた。筆者も道端で差別的な罵声を浴びせられた。
とある夕方、自宅ビルを出るところで、まだゲートに手をかけたままの状態の筆者は、ちょうど前を通り過ぎようとしていた中東系男3人組チンピラに出くわした。
「Corona」
彼らが筆者に向かって怒鳴った。
凍りついて動けない筆者に更に追い討ちをかけ、チンピラの1人がわざわざご丁寧にも数歩引き返してきて
「Corona everywhere」
と再度怒鳴り散らした。
大きく深呼吸し、緊張により強張った身体中の筋肉を緩め、体勢を立て直し、急いで携帯を取り出して暴漢らの姿をカメラに収めようと試みたが、すでにかなり先まで立ち去ったあとで、無念にも彼らが角を曲がる後ろ姿しか撮せなかった。
募る不信感
翌朝、市に苦情を申し立てるためのホットライン311に電話し、被害をリポートした。とても親身になって聞いてくれたオペレーターから、ちょうどその頃ニューヨーク警察内に発足したばかりのアジア人へのヘイト・クライム対策本部に通報するよう勧められ、電話を繋いでくれた。
ところが、である。
その新たに発足した輝かしい機関は、メソメソして気弱な声で訴える筆者を助けるそぶりさえ見せなかった。
対策本部の、いかにも頭の悪そうな英語を喋るオペレーターは、件の出来事は単なる“freedom of speech”に過ぎない、と言い放った。
筆者に起きたことは、verbal assaultという立派な暴力であるにもかかわらず、である。
「あなたが個人的にそう感じるのは勝手だけれど、記録に残すぐらいすべきじゃないの?一体何のために発足した機関なの?」と食い下がるも、徒労に終わった。アメリカ国家機関の納税者へ対するあまりにも冷淡な対応。
数日後、チンピラの後ろ姿のみが虚しく映る映像をtwitterにアップし、ニューヨーク州クオモ知事とNYPDをタグ付けし、警察オペレーターの杜撰な対応の件、「警察が助けてくれないなら、一体誰に助けを求めたらいいの?」というメッセージを添えて投稿した。
その後、CCRBなる警察の不正を通報する機関に、正式に苦情をファイルした。2ヶ月ほどかかったが、筆者の訴えが受理されたとの報せを受ける。今後は検察官からの連絡待ち。コロナで全てが停止して3ヶ月。今やっとphase 1で街が動き出したところなので、ことが運ぶのには、更に時間がかかるであろう。
そんなことがあってから間もなく、コロナがニューヨークに襲いかかり、感染者と死者数を記録したグラフが急上昇するのに比例してアジア人への差別的な行為が更に目立つようになった。
公共の場でのマスク着用義務令は、外出時に顔を隠して人種の見分け困難な怪しげな装いで堂々と外を歩けることになったことを、むしろありがたいと感じるほどまでに外出が怖くなっていた自分の心理状態に気付き、愕然とした。
顕在化する白人至上主義
長かったロックダウンから漸く解放される間際、世界中に知れ渡ることになったセントラルパークの“カレン aka 白人マダムと奴隷心理“ 騒ぎ。更に、警官による黒人市民殺害事件が発生したことで、この国が長いこと誤魔化してきた現実、白人による有色人種に対する根強い差別意識が浮き彫りになった。
(関連参考記事: セントラルパーク”カレン”事件 白人であることの特権)
プロテストに便乗し野蛮な略奪行為を繰り返す連中。比較的治安の良い自宅近所でも、金目のものなど置いていないことは明白なオフィスビルのガラス窓までもが派手に割られているのを目の当たりにし、やるせない気持ちになる。
反人種差別プロテストの一環と名打っての略奪行為など過激な行動に出る者達のことを、メディアがAnarchistと呼ぶのを見聞きした。今までは、自分の思想はAnarchist に属すると考えていたが、暴徒と一緒にされるのは心外なので、今後はLibertarianと名乗ることに決めた。Libertarianとは、思考と行動の自由、自由な意志を信じる人を指す。詳細はgoogleしてね💗
平和にプロテストを行う市民にまで容赦なく暴力を行使する警官を目の当たりにし、筆者自身も身の危険を感じたため、プロテストに参加するのは一度きりで止めてしまった。
差別と偏見はびこるアメリカ
アフリカ系米国人が長きに渡り虐げられ、今なお日常的に差別を受け続ける現実。身を護る手段として、彼らが代々親から子へ教え込むという項目の一つは、街中で無闇に急に走り出さないこと。ジョギングしていた若い黒人男性を、車で追い詰めて撃ち殺した親子と、それを手助けした愚かな白人達の事件は記憶に新しい。
かわいい無邪気な小さな子供にそんなことを教え込まなくては命の保障なくして生きられない環境に生まれ育つことを、想像してみてほしい。自分の国なのに、ジョギングさえ自由にできない環境?そんな馬鹿げた異常な事態が当然の如き風潮を野放しにしてきたこの国に、心底失望した。同時に、そんな重大なことを、この国の市民権を得て長く暮らしていながら、今回のことがなかったら一生知らなかったかもしれない自分の無知を恥じた。
アメリカ人は皆陽気で気の良い人が揃っていると思い込んでいた自分の呑気さに呆れる。もちろん、いい人も大勢いる。差別者が悪者とはいいきれない。彼らだって、家族や友人に対してはきっといい人なのだろうから。
どちらにしろ、なんて悲しい現実だろう。差別や偏見について改めて深く考えさせられた。
ユートピアをさがして
ニューヨークを愛する気持ちに変わりない。
それでも、この街、この国を出たい気持ちは日々不動のものとなりつつある。
いかなる差別も許さない主義だ。だが、世界から差別意識がなくなる日は、おそらく永遠にこないだろう。どこの国にも教養のないバカ者はいる。私にはバカを相手にしている暇はない。闘うに値せぬバカに立ち向かっても暖簾に腕押し。時間の無駄なのだ。
引越し先はハワイかカナダになるだろう。ハワイもアメリカではあるが、マイノリティにとっては本土よりは暮らしやすいと聞く。カナダも白人社会ではあるし、差別も存在するが、アメリカ程に酷くはないと、カナダ育ちの夫から聞いた。
日本に住むことも選択肢に入れている。軽井沢の別荘地あたりに居を構え、静かに暮らしたい。19歳で自立して以来、一生懸命働いてアメリカに納めてきた税金。その税金から配当される、そう遠くない将来受け取ることになる年金を、この国の経済をまわすために使いたいとは思えなくなったのだ。ただ、もう若くはない猫2匹が長時間のフライトや検疫に耐えられるか心配なので、残念ながらこの計画が実現する可能性は低い。今まで通り、日本は時々訪れて楽しむだけにしておくのがより現実的だ。
ニューヨークの住居は手放さず、実際に移住してから様子を見て、諸々の細かいことは段階を踏んでゆっくり決めていきたい。コロナの影響ですぐに動くことが出来ないのは歯痒いが、移住実行は1~2年内を見据えている。
映画『Help』
わずか60年弱前のアメリカで横行していた白人至上主義。Helpは、その時代のアフリカ系アメリカ人差別を非常に分かりやすく描写した映画だ。
アメリカの白人の大半は、元はヨーロッパの階級社会で貴族に納める重税に喘ぎ、自由を求めて新天地アメリカ大陸へ渡ってきた極貧移民だ。その移民の末裔が排他的なのは、極貧移民という出自を無意識下でコンプレックスと妄信していることの裏返しではないかと推察する。意地悪をする人間は、コンプレックスの塊であり、意地悪で相手を傷つけることで自分が優位に立ったと錯覚していることを自覚出来ない、悲しい人。私には、この両者に共通点があるように見えてならない。
主要登場人物の1人であるヒルの意地悪根性の度合が酷すぎて、見ていて胸くそ悪くなる場面もありますが、差別する側の心理が垣間見えて、アメリカという国のシステムに根差す、普段は地中に埋まっていて見えない根っこ的なものが見えて来る、一見の価値アリな映画です。筆者が大ファンである麗しのジェシカ・シャスティンがいい役どころで出演しているのも見どころ。たぶん、彼女自身のたっての希望でこの役を演じたのではないだろうか。彼女は動物愛護や人権問題について以前から声を大にして発している人。オススメです。




