自分の世界を広げること 自由の女神の麓で

queen-of-liberty-202218_1280自分の世界を広げると必然的に広がりゆく視野

世界は広いのだということをこの目で確かめたくて日本を飛び出し、西海岸で学業を終えて、自由の女神が聳え立つ麓の街ニューヨークに腰を落ち着けた。移民の歴史が長く、多様な価値観を尊重し、人々が自分自身でいられるリベラルなこの街をmy homeと呼ぶようになり久しい。

『在日朝鮮人』という立場について、日本に住んでいたときには全く気にしたことはなかった。ただしそれは、日本で社会に出たことがなく、自分が差別の対象になりうるマイノリティーであることを実感する場に居合わせることがなかったからだ。父と離婚後、アメリカに渡った母が、なぜあれほど強く日本を出ることを私たち姉妹に勧めたのか、今はよくわかる。それは、私たちが差別によって嫌な悲しい思いをしないで済むように。

母はアメリカに渡ったあとも毎年欠かさず最低2度は訪日し、彼女が生まれ育った博多と日本各地を旅することをとても楽しみにしている。母は在日朝鮮人2世であり、彼女の兄弟は日本の朝鮮学校を出て、一人は朝鮮学校の教師をしていた。以前の投稿でも触れたが、母方の家は両班の文班という貴族の家柄。祖父は手広くビジネスを展開し、地元の商工会議所理事を勤めていたこともある名の知れた人物であった。運転手付きのロールスロイスで移動し、仕事から帰宅後は厳しい顔を脱ぎ捨て、ピアノを弾くことを日課とする心穏やかな人だった。母は、在日朝鮮人として生きる現実を、教養豊かな祖母からそれこそ耳にタコができるほど厳しく言い聞かされて育った。ソフトバンクの孫さんは、お父上から、在日コリアンは大学を出ても出世はおろか、就職さえ困難なこともある、だから日本で生きてゆくには人の数十倍も努力しなければいけないのだと言われ続けて育ったと聞く。わたしが18歳まで一緒だった父方の親族からは、在日コリアンであることについて特に言い聞かせられることはなかった。だが現実を突きつけられなかったおかげで少なくとも17歳まではおっとり育ったことを考えると、そんな子育てもいいのではないかと思う。

高校の教師から受けた差別まがいの言動

思い起こせば、18歳で渡米する以前、遠まわしの差別とも受け取れるquestionableな場を体験したことがある。それは、通っていた鎌倉の女子校の教師によるもの。教頭自らが教鞭を執る作法の時間のある、肩下の長さの髪はびっちり三つ編みという校則の厳しい学校だった。体育の授業を受け持っていた男性教師が、授業中なにかにつけて私の姓を呼び間違えた。仮に私の本名を呉として、通称名で呉林(くればやし)と名乗っていたとしよう。その体育教師は、「呉野?呉原?呉田?呉塚?…..」と、よくもまああれだけの数におよぶアレンジを思いついたものだと笑えるほどに私の姓を呼び間違え続けた。ご丁寧にも授業のたびに毎回、である。しかし当時の私は、子供の頃から使い慣れた通称名が自分の姓と信じていたので、教師から受けたそのような差別まがいの行為を疑うことはなかった。鈴木や佐藤や山田など、よくある日本の姓ではない私の名前は覚えずらいのだろうと100%信じ切っていたのだ。数えきれぬほど繰り返された《名前呼び間違い事件》は、いつのまにか止んだ。気にとめていなかったので、いつ止まったのか記憶にない。名前リストが尽きたのであろうか。どうせならもっと呼び間違え続けてギネス記録にでも登録していたならば、その行動に少しは意味を持たせることもできたであろう。意地悪な言動とは、相手に精神的打撃を与えることが目的だ。おそらく、当時のわたしのように全く意に介さない暖簾に腕押しの反応では意地悪のしがいがなく、単に面白くなくて止めたのであろう。

50歳前後の大人の男が、差別という言葉さえも未だ知り得ぬ16歳の子供相手に差別的な言動をぶつけるという醜さ、愚かさ。哀れな男である。

通称名

数多くの在日コリアンが《通称名》を未だに使っているのは、いったい何のためなのか。それはまるで、ナチスによる迫害を逃れ、命を護るため身元を隠して生きねばならなかったユダヤ人のようではないか。日本ではっきりそれとわかるような差別を経験したこともなく、ましてや日本を離れて長い私にとって、戦後日本国民の心に余裕がなく道徳を保持することも困難を極めていたであろう昔の日本ならいざ知らず、宇宙旅行が一般的に浸透しつつあるモダン社会における先進国の日本で、戦争の名残である古臭いガラパゴス風潮が未だに横行しているとは想像し難い。だが、現状はどうやら穏やかとはいえない様子だ。そう感じたのは、日本のニュースに目を通していたとき。川崎市にある多文化交流施設に、在日コリアンの虐殺を宣言する年賀状が届いた事件があり、芸能人の水原希子がSNS上で、在日コリアンに対するヘイト行為がなくなることを願うとコメントしたという記事を読んだ。たしかYahooニュースだったと記憶しているが、各記事についてコメントを残せるシステムになっている。最初のコメントを読んでみた。『水原希子は普段は日本人のフリをしているくせに、都合のいいときは日本人ではないことを強調している』と書かれていた。このような《在日コリアンは日本人のフリをしている》というコメントや書き込みは、過去に他のどこかでも読み拾ったことがある。このような行為をする人々は、犯罪人でもないのに本名ではない名前を名乗り《日本人のフリ》をしなければならない人が存在する自分の国の現状について、疑問が生じることはないのであろうか。その疑問を解消すべくリサーチをするなりして、教養を深めたいという考えには至らないのが、不思議でならない。

wojtek-witkowski-GtxZbYMCiPY-unsplash気分良く生きられる場所

以前の投稿に書いたが、だれかを嫌悪することは個人的な自由という考えだ。わたし自身にも苦手な国の文化は存在する。苦手な人や物事からは距離を置き、個人的な付き合いをしなければいい。自分の貴重な時間と労力を、攻撃することに費やしてみたところで、自分も含めて誰も幸せにならない。逆も然りで、嫌な気持ちにさせられる存在からは徹底的に逃げること。そう、逃げていいのだ。全速力で走り去れ。雑音はMuteする。立ち向かわない。差別や偏見は、教養のなさが生み出す感情であり、バカはどこにでもいる。そもそもバカとは話が通じないので相手にしない。リベラルな街といわれるニューヨークにも、バカはわんさかいる。わんさかいるが、この国では差別や偏見意識を言動に反映させる者を厳しく罰する法律が確立していること、また、有り余るほどいる優秀な弁護士達がいつでもスタンバイし、おかしなことについて声をあげることを厭わない一般市民やメディアという心強い後ろ盾も控えているので、差別など気にすることなく自由に生きられる。

小さな世界にいつまでも止まっていることはない。気分よくのびのびと生きられる場所は必ず存在する。世界はこんなにも広いのだから。

17歳の決意 祖国を嫌う

渡米して初めて、日本における自分の立場を意識した。17歳だった。差別を回避するために、罪を犯したわけでもないのに通称名を使い、単に朝鮮人という『自分自身』であるというだけのことで差別の対象になるという不条理。

偏見や差別という、つかみどころのない、自分の力ではどうやっても解決しかねる概念に傷つけられることから法的に守ってはくれない日本という国で、のびのびと生きてゆくのは容易ではない。そのことを、17歳の私は野生動物に備わる危険察知能力さながらの直観を働かせ、日本をあとにした。

母がアメリカ国籍を保有していたことで、住まう国の選択肢のあった私は恵まれていた。弱冠17歳で自分の行く末を深く考察する機会を与えられたおかげで、今こうしてニューヨークでたのしく暮らしているのだから、在日朝鮮人という生い立ちに感謝している。

ただし、祖国のことは個人的理由から好きではない。17歳当時、在日コリアンがパスポートを取得するには韓国へ一度は足を踏み入れることが義務づけられていた。そのためのツアーが用意され、私と姉もそのツアーに参加せざるを得なかった。どの角度から見てもおかしな義務である。あの国の政策特有の自分本位な、全く意味を為さない義務。韓国の観光業を潤わせるための営利目的に在日コリアンを都合良く利用していたのであろう。

生まれて初めて訪れた祖国への入国審査で、理解できない韓国語で話しかけられて困っている私を含めた韓国語を理解しない他の子供達を、入国審査官は別室へ連行した。そのときの混乱と不安な気持ち。在日コリアンのパスポート取得ツアーのメンバーだと認識していながら、年端もゆかぬ少年少女たちを連行するなど、嫌がらせ以外にどんな理由があろうか。その時私は「この人たちは大人のくせにそんなことも理解できないくらい頭が悪いか、頭がおかしいかのどっちかだ」と本気で思った。それ以来、韓国という国を嫌いになった。大人になり、融通の利かないオツムの硬い韓国民に出会ったり、現在のおかしな雲行きの政情を見聞きしたり、在日コリアンを意味もなく格下に見て小馬鹿にする韓国民に遭遇するたびに、祖国に対する嫌悪感が募るのは致し方ないこと。だがそのことについて、なんの感情も沸き起こらない。わたしはとうの昔にアメリカ人になることを選択したのだし、そもそも初めから韓国にとって私は外国人、私にとっても韓国は外国だ。

_DSC4966日本は食事が美味しくて清潔で治安が良い国だ。日本人は穏やかで優しい、いいひとばかりという印象を抱いている。夫をはじめ親しい友人は日本人ばかりなので、そう思うことは自然であろう。生まれて初めて就職したのは、某メガバンクのニューヨーク支店だった。配属されたのは日本からの駐在員の方々が多く在籍する部署。駐在員の方々には、これ以上ないほど親切にしていただき、いい思い出しかない。フリーのライターになった私とはもう繋がりはないのに、いまだにそのころの駐在員の方々がニューヨークへ出張に来られるとお土産をくださったりする。お世話になった方々のお一人は、現在は副頭取としてご活躍中。当時ニューヨーク支店トップであった常務N氏が、ついこのあいだニュースを賑わした、日本Yの社長を勤めておられたことはテレビで知った。わたしは普段テレビを見ないのだが、その夜は夫が日本のニュースをYoutubeで見ている部屋にいた。聞き覚えのある声がしたので、テレビ画面に視線を移すと、記者会見に臨むN氏がいて、驚いた。N氏にも、それはとてもよくしていただいた。在日朝鮮人である私を差別しないリベラルで心温かい、非常に頭の切れる方で当時から尊敬していた。あの事件で被害を被った方々には、ほんとうにお気の毒に思う。だがN氏に個人的責任はない。最初の記者会見での対応が相応しくなかったとメディアから叩かれても意にも介さず、2度目の記者会見でも、ふてぶてしいような尊大にも見える態度で、昔から変わらない正々堂々とした姿で臨まれるN氏はあっぱれであった。

日本はわたしの生まれ故郷であり、お味噌汁はわたしのcomfort food。いまだに日本に旅行にゆくときには日本に「帰る」という言葉が自然に出てくる。それでも日本はいまも昔もわたしにとって外国であることにかわりないし、日本にとっても私は外国人だ。それについても、韓国に対する気持ちと同じく、現実を認識する以外に、感傷的になったことは一度もない。

_DSC4915誰しも、相手がどんな人間であっても親族というだけで甘くみる心理的傾向にある。私の場合は相手が家族であっても、一旦突き放して客観的に眺める。それは祖国や生まれ故郷についても同じだ。自分自身についても、常に客観的でありたいと思う。一番の親友でもある夫や、信頼のおける親しい友人には、わたしがカッコ悪いおかしな言動をしようものなら直ちに指摘してくれるよう頼んである。

地球上の一人一人が、どんな状況においても基本的な良し悪しの判断をブレずに出来るようになったなら、戦争、虐待、いじめ、差別、偏見撲滅の実現性は高まるであろう。

Thom Yorke – Atoms for Peace

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