物事に白黒つけるのが私の生き方だった。グレーのままにするなんて、ありえないことだった。
だが、月日がたち、気づいたらいつのまにかグレーも受け入れられるようになっていた。霧に覆われ、空と大地の境界線が曖昧なグレーに染まる景観のハドソン川沿いを歩きながら、そんなことに思いを馳せた。
その変化にいちばん驚いたのは自分自身だった。ニューヨークで多様な価値観に触れる場数を踏む機会に恵まれたことで、自分のなかの尖った部分がずいぶんと削られたように思う。そんなふうにして自然とグレーも許せるようになっていたのかもしれない。
新たな橋をかけるために、不要な橋は焼きすてる
don’t burn your bridgesというフレーズがある。後々のことを考慮し、後戻り出来ない立場に自分を追い込まぬよう、むやみに人との縁(橋)を断ち切るな(焼くな)、という意味合いのそのフレーズを英語習いたての若かりし頃に覚えたのは、私自身が人からそのフレーズを言われることが多かったから。
世の中うまく立ち回ったほうが生きやすいこともあるということは知っている。グレーのままにしたほうが都合のよいこともあるのだろう。だが、グレーを許容できるようになった今でも、上っ面だけ偽り媚びることはどうしても出来ないし、嫌な人に頼るくらいなら困る方を選ぶという考えに変わりない。そもそも、いままで何か問題が生じる度に自力で解決し道を切り拓いてきた私にとって、don’t burn your bridgesは縁のないフレーズなのだ。今後も引き続き不要な橋などさっさと焼き棄ててゆく心づもりだ。なにも恐れることはない。新しい橋を架けてゆけばいいのだから。
世界は広い。ひとっところにいつまでもグズグズ止まっているより、自分の世界を広げることにエネルギーを使いたい。
3度の転職。3度の結婚。人と比較することがサガである女にはよくあることだが、勝手に妬み嫉みをした挙句、遠回しの嫌味を言い放つ女ともだちとは迷うことなくSAYONARAした。(あるいは、友人と思っていたのは私だけだったのかもしれない。)価値観の違う男とはさっさと縁を切った。野球投手、やくざの親分の息子、様々な分野で活躍するエリート達からの交際申し込みも、きっぱり拒否した。理由はシンプル。彼らが既婚者だったから。どんなに甘い言葉を囁かれようが経済力をちらつかせられようが、嫌なものは嫌なのだ。離婚して改めて出直してこい!と最初にきっぱり告げるので、不倫の不の字さえ入り込む隙を与えない。嘘をついてまであっちにもこっちにもいい顔をしていたいなどという狡猾でお◯りの穴の小さい、私と価値観の違いが明白な男など最初から相手にしないのだ。
そんなふうにして、恋愛も友情も仕事も、綺麗さっぱり快く断ち切って白黒はっきりさせてきた。
ただし、グレーを許せるようになったとはいっても、不倫は別だ。恋愛するのは自由だが、なにはともあれ、まずは離婚であろう。シングルになってから二股といわず複数股なりして、心ゆくまで自由に人生を謳歌すればよろしい。
グレーに対して昔のように嫌悪感を抱くことはなくなったが、生まれながらのパンク精神は色褪せることなく永遠なのだ。
<本日の1曲> Radiohead – Lotus Flower
『存在の耐えられない軽さ』はミラン・クンデラによる小説で、映画にもなった。高校生のとき、タイトルの語感に魅かれ図書館で借りたはいいが、当時恋愛経験のなかった世間知らずの小娘には難解すぎて読み切れずに返却した。20歳のとき、映画にトライしたが長すぎて寝てしまった。年齢を重ねた今どう感じるのか、ぜひ再読・再鑑賞してみたい。