はじめての同窓会 アインシュタインかニュートンか 思い出は美しすぎて

夏の終わりに子供の頃の同期生たちと再会した。とても楽しかった。

ニューヨークとの時差が昼夜逆さまの日本滞在は2年ぶりとあって、時差ボケで日中はぼんやりした意識のまま2週間の滞在をやり過ごした。

旧友たちとの再会は到着の翌晩。

当日、待ち合わせ場所に10分前に到着した。実に30年ぶりの再会、パッと見には見分けられないであろうことはわかっていながらなおも辺りを見回してみたが、それらしき人は見当たらない。何人かは地元横浜から来てくれること、その他の人々は都内でも東京駅界隈に在住しているわけではないので、時間通りに来れないことも十分ありうることを想定し、のんびり待っていた。

ところが、待ち合わせ時間になっても誰一人現れない。さすがにおかしいと思い、まさかとは思ったが、念のためメールのインボックスを遡り待ち合わせ場所を確認した。

私が自信満々で待っていたのは八重洲南口。待ち合わせ場所は丸の内南口。既に18:00をまわっている。焦って幹事役のRにメールした。「ごめん八重洲南口で待ってた!みんなで先にお店に行って、何か飲みながら待ってて!!」

駅員さんに道を尋ねて、駅の反対側丸の内南口へ急ぐ。店は駅の真向かいにあるビル内にあるので迷うことなく無事到着。店員さんの案内でドキドキしながらみんなの待つ個室へ向かった。

ほどなく部屋の前に着いて店員さんが襖を開けると、目に飛び込んできたのは掘りごたつ式のテーブルに着席している旧友たちの満面の笑顔。一人一人とハグして頬を触れあわせる挨拶をしたい気持ちでいっぱいだったのだが、ドン引きされることもあるかと控えた。相手はずっと日本で暮らして大人になった人々なのだ。アメリカかぶれで嫌味な印象の誤解を招く可能性だってある。何十年も違う文化の中で生きてきたのだから価値観が違って当然であろう。旧友たちがこの投稿を読み、そんなことなかったのに!と笑い飛ばすであろうことはわかっているが、最初で最後になるかもしれないせっかくの場を台無しにしてしまうリスクを背負うのは回避したかった。

それにしても、みんな全っ然変わらない。

クラスでよく一緒にいた女子3人組のひとりKは、あいかわらず色白で細くて、優しいふんわりした雰囲気を醸し出しお人形みたいにかわいい。特に接点はなかったけど賢くて明るくて、あの頃からいい人オーラ全開でいつもひょうきんな表情を浮かべていたのが印象的なKFちゃん。彼女の言葉いちいちすべてが、さらに磨きのかかった彼女の頭の回転の速さを物語っていた。違うクラスで言葉を交わしたこともなかったHくんのことは、体育館で部活に励む姿を時折見かけたことが記憶の片隅に薄っすらと残る程度だったが、見た瞬間に認識した。

ワーキャーと再会の興奮冷めやらぬ頃、R登場。自宅が比較的近く校外でも遊んだ仲のRについては、Kに次いで子供の頃の顔をよく記憶していた。彼もちっとも変わらない。私の到着と同時に「◯◯ちゃん来たよー」とHくんがRに連絡してくれた。万が一わたしが待ち合わせ場所に現れることを心配しRが居残っていてくれたのだ。前の投稿にも登場したR。ちなみに、このお二方ともに花のシングル!加えて優しくてイケメンときてる。まわりの女性が放っておかないであろうことは想像に難くない。彼らの楽しいシングルライフについて、次回はハンチング帽、鉛筆、メモ帳、アンパンと牛乳という探偵/刑事張り込みセット持参で是非とも詳しい話を隅々まで聞きだしたい。なにしろ今回は初対面も同然の再会。突っ込んだ話題に踏み込むことは遠慮したオレ。

そして夜も更け宴もたけなわなところでYちゃん登場。急いで用事を済ませて遅い時間にもかかわらず横浜から駆けつけてくれたとのこと。おしゃれなショートヘアに健康的な肌色。スラリと小柄なスタイルで履きこなすスキニージーンズがこなれている。ときおりうっすらと眉根を寄せるようにして少し怒ったような表情ではっきりとした物言いで喋る姿もすべて子供の頃のままだ。

翌日がゴルフで朝早いHくんと、終電の時間が迫るKFちゃんを駅で見送った後、残りのメンバーで名残を惜しみあと一杯だけということになったが、土地勘のない場所だけに行く先に悩む。時間が迫っていたので、わたしが前の晩に散策した繁華街へ向かってとりあえず歩く。どの店も閉店間際だった。東京駅周辺はオフィス街なので週末の夜はどこも早く閉店する。あと30分ほどで閉店というお店に滑り込み、おしゃべりに花を咲かせた。終電の時間迫るKが抜けたあともYちゃんとRと3人で閉店ぎりぎりまで粘ったが、ついにお別れの時間に。

アインシュタインの相対性理論かニュートンの絶対時間か

絶対時間とは、時計に基づいた時間の観念であり時間は過去から現在、未来へながれるもの、つまり世界共通で使われている時間をいう。相対性理論とは、時間はわたしたちが認識するまで存在しないという観念であり、過去から未来にいたるあらゆる瞬間は等しく実在しているというもの。量子学について学んで以来相対性理論を支持している。今回、はじめて同窓会というものに参加して、あらためて相対性理論の信憑性を高めた。

私たちが時間を感じるのは、自分自身を世界から切り離して物事を見ているからであり、時間というのは私たちが作り出しているに過ぎない。相対性理論に軸足を置いたなら、時間というものは異なる物理系に起きた出来事の相関性を示すための発明品に過ぎない。

量子学では、時間は未来から現在、過去に向かって流れるという見方をする。よく耳にする「過去の因果が現在に影響を及ぼす」のではなく、未来が現在に影響を及ぼすのだ。なぜなら、今この瞬間の未来とは、過去にとっての現在であり、すなわち『過去から未来にいたるあらゆる瞬間は等しく実在している』のである。

みんなと過ごした楽しい時も、お別れしてお互いに振り返りつつ反対方向へ歩き去る時も、すべて夢のなかのような、意識に淡い霧がかかったような非現実感が伴った。時差ぼけのせい?いや、23:30をまわっていた2次会時のニューヨークは9:30、眠りから目覚めて元気になり、もっと呑みたい気分になっていた時間帯だったので、すくなくとも2次会については時差ぼけは関係していないはずだ。子供の頃とかわらない皆ではあったが、自分も含めしっかりと年をとった大人であるという現実を常に認識していたので、時間が逆戻りしたような感覚を味わったというわけでもない。相対性理論と量子学を信じるわたしにとって、遥かな時を経て再会した旧友たちと時間を共有することが夢のなかのようなやや実感に欠ける出来事に感ぜられたのは、不思議ではないことかもしれない。

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皆と別れたあと、ホテルまでの道をぶらぶら歩きながら、大学卒業間際に日本へ帰ろうかアメリカに残ろうか迷っていたときのことを思い出した。あのとき日本へ帰っていたら、日本国籍に帰化して日本社会にブレンドして、今も日本に暮らしていたのだろうか、それはどんな人生になっていただろう、今とは違う考えを持つ人間になっていたのだろうか….. などとたわいもないことに思いを馳せた。

たまにしか日本を訪れない私のためにHくんが手配してくれた会場は、京都のおばんざいなど和食を楽しめる居心地のよい素敵なお店「菜な」。コース仕立てのお料理が、食いしん坊のわたしがお腹いっぱいで残してしまったほどに次から次へと出てくる。サービスよし。丸の内南口から徒歩30秒ほどのビル内にありアクセスよし。宴会にぴったり。オススメです。

おばんざい・炙り焼き・酒 菜な

<本日の1曲> 八神純子 – 思い出は美しすぎて

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