季節が冬へ移行する今の時期になると、なんとなく心もとないような、しんみりした気持ちになる。そして、いままで好きだったことに興味が薄れたりもする。
今朝はバレエスタジオへ顔を出すのが億劫になった。いつもなら、目覚めたときから楽しみでベッドからでてすぐレッグウォーマーを着け、朝食の支度をしながら軽いストレッチなど行い身体を少しづつ起こして準備万端にするのに、今朝はエンジンがかからなかった。

情報が氾濫する現代では、誰しもがさまざまな分野について広く浅い知識を持つのが容易になった。猫も杓子も、の時代である。今朝の私のような症状にいたっては、一括りに鬱とい名を当てがうのが常識であるがごときの世論に鬱陶しさを感じるのは私だけであろうか。
歯科と外科医療をのぞく現代医学に信頼を置いていない。なぜなら、医学とは統計学に基づいたものであり、それを学んだ医師の診断に頼るのが医療であり、必ずしも万人の症状に当てはまるとは限らないからだ。現に医療ミスは起こっているし、おなじ療法で治る人もいれば治らない人もいる。義姉がお腹の調子が優れない症状を訴え、あらゆる検査を行ったにも関わらず医師たちは長らく診断できずにいた。義姉の体重がかなり落ちていた半年後にようやくガンと診断されたときには手遅れで、それから3ヶ月であっけなく逝ってしまった。
ちなみに、義姉はスタンフォード大で博士号を取得し、某有名石油会社の科学者だった才媛。ご主人は某有名石油会社の地質学者。財力面も含め、米国で最高レベルの医療を受けられる立場にあった。一流の医師達による最先端医療を駆使しても、病気の発見さえままならないこともある。それが現代医学の実態だ。
身体のどこかを切り開いてみたところで答えなど永遠にみつからない心理学に関しては殊に、似通っているからといってひとつの病名で括れるほど人間の心は単純にできてやしない。人の気持ちの変容パターンは十人十色。いまどきは会社や学校をちょっと休んだりしたくらいで、あの人は鬱じゃないのかとか、わたしは鬱だ、などというのを小耳に挟むご時世だが、バカバカしい話だと思う。
人間誰しもちょっとくらい気分のアップダウンがあるのは珍しいことでもなんでもない。敬愛する心理学者の故・河合隼雄先生も著書で何度かそのことについて触れておられる。
それなのに、メディアが視聴率や雑誌売上げ、ウェブサイトへのアクセスアップにより自分たちが潤うことに重きを置き無責任に騒ぎ立てた結果、真面目で従順な国民性を持つ日本の人々が翻弄され、少しくらいの気分のアップダウンでさえも病気呼ばわりする風潮だ。
風邪薬や頭痛薬など軽い薬でさえも摂らなくなり久しいわたしは、滅多に医者にかからない。そもそも病院という場所を信用していないので、基本的にかかるのは半年に一度の歯科検診と怪我をしたときの外科だけ。風邪はひきはじめに塩水うがいとハチミツレモン湯で治るし、ひどい頭痛なら頭をマッサージすればいい。痛みは身体のサインであり、原因を究明するための重要な手掛かりなのだから、薬で散らすなど以ての外だ。
医者から「薬を出しておきますから」と言われたら、薬は摂りたくないとはっきり意思表示をすることは非常に大切だ。痛み止めが不可欠な病状でない限り、大抵の医者は、わかりましたといって薬を勧めてこない(少なくともアメリカでは)。患者がいらないといったら摂らなくてもいいような薬なら、最初から処方しなければいいではないか。
さて今回は、わけもなくしんみりとした気持ちになったときの対処法をシェアします。
好きな音楽を聴いて家でゆっくり過ごすのもいいけど、外へ出て人混みの波にダイブして流れに身を任せて歩いたり、人通りの多い道に面したカフェの窓際に陣取り、過ぎ行く人々をぼんやり眺めながらそれぞれの人生を想像するのは気分転換にうってつけだ。

ニューヨークなら断然タイムズスクエアがいい。あの場所には世界中から集まった様々な人種、ありとあらゆるタイプの老若男女が常時ひしめいている。裕福そうな人やそうでなさそうな人、笑顔の人、不機嫌そうな人、無表情な人、ノロノロ歩く観光客たちを避けながら忙しそうに足早に歩き去るニューヨーカー、障害者、道に座り込む乞食、大声で喋る人、ぐずってべそをかく子供….. それぞれの人生で展開するドラマを想像しているうちに、自分自身のことも自然と客観的に見直せるようになる。自分の人生もこの広い世界の数あるうちのひとつに過ぎないことを思い出す。
若いころは色々なことに思い悩み、神経質で尖っていたが、年齢とともに経験値も上がるにつれ、気付いたらいつのまにか(昔にくらべたら)丸くなっていた。すべての生き物は生まれた瞬間から死に向かって生きている。じたばたせず、どっしり優雅に構えて愉しく生きたい。わたしの人生は波乱万丈だったといえるかもしれない。でも、五体満足に生まれただけでありがたいことを念頭におき、波乱万丈な人生だったが故に常に危機感を持って進んできたことで、いまこうしてニューヨークでのたのしい暮らしがある。大切なのは今この瞬間だけ。お皿洗いや歯磨きでもなんでもいい、いまだけに集中する=いまを生きること。そうしていればモヤモヤ気分や怖れも悩みもなくなる。
<本日の1曲> 沢田研二 – 憎みきれないろくでなし