ジャームッシュ監督による映画『ストレンジャー ザン パラダイス』再び
この映画は、私が観た映画履歴の統計をもとにしたNetflixオススメリストに挙がっていた。全作品を気に入っているジャームッシュ監督作であるにもかかわらず、最後にみたのはいつだったのか、みたことがあったのかどうかさえも曖昧なまま、Queueに足しておいたものが届いたのだ。
いざ映画がはじまってしばらくは初めてみるような気がしていたが、主役のひとりであるエヴァが踊るシーンでかかる、ラストテロップでも使われている音楽が聴こえた瞬間、以前みたことがあったのを思い出した。

内容に関してはうろ覚えだったのと、だいぶ昔に観たきりだったのとで、はじめて観るような新鮮さで楽しめた。
ここでは映画の内容についてはもちろんのこと、あらすじに触れることも控える。なぜなら、ストーリー自体はコマーシャル映画のようなドラマティックなものではないので、それを記したとしても、この映画の良さは皆目伝わらないからだ。
この映画のみどころは、ひとつひとつのシーンが美しい写真のような構図の映像と、冴えた脚本、セリフのないシーンによる「間」にある。間は、オーディエンスの想像力をかきたてる。それは、アリスが白うさぎの後を追いかけて不思議の国に迷い込んだように、観る者を無意識のうちに映画の中へと誘い込む。
失われた時を求めて
主役3人が海岸を歩くシーンは、ある出来事を思い起こさせた。
渡米後、20代はじめの1年間ほど日本に戻っていた。中学の同級生だった男子ふたりが、どこから情報を得たのか、ある日突然アルバイト先に訪ねてきた。そして私をドライブに連れ出してくれた。たどり着いたのは葉山の海。3人で服を着たまま海に入ったりなどしてはしゃぎ夜遅くまでhang outした、遠い昔の日の記憶。くすぐったいような懐かしい感覚を、映画のシーンが想い起こさせた。
その男子の一人であるRと、最近連絡がとれるようになった。
わたしは、かなりの人見知りだ。相方と打ち解けるのに20年かかった。もともと群れるのを好まないことも影響しているが、とにかくなかなか人に懐かないのだ。にもかかわらず、Rが子供の頃の友というだけで、わりと何でも包み隠さず素直に色々なことを伝えることが出来る距離感を覚える、という自分の新たな1面を発見した。
さらに、My来日公演(幻想)にあわせ、ありがたいことにミニ同窓会を企画してくれている。しかも、ニューヨークからのオノボリさん+大の方向音痴である私のために、同窓会会場をわたしのステイ先に近い某駅周辺にするよう、手足をジタバタさせゴネて要求した結果、Rが聞き入れたのだ。(フィクション)
14歳当時から何十年ぶりとなる再会は、皆に会えるという貴重な機会はもちろんのこと、ピチピチだった頃から変わり果てた自分の姿を晒すという、怖いもの見たさ的な感覚をも伴う高揚感に期待がふくらみ、楽しみでならない。
ストレンジャー ザン パラダイス予告篇
<本日の1曲> Brian Eno – I’LL COME RUNNING