今回は私のルーツについて。

以前の投稿で少し触れたが、私は在日朝鮮人3世として横浜に生まれた。
母は日本生まれの2世、父は朝鮮生まれの1世なので、正確な表現では在日朝鮮人2.5世である。
10代で渡米し米国籍取得後、日本の特別永住権は放棄したので、正式には在日朝鮮人ではなくなったけれど、私のルーツの重要な要素として記したい。


わざわざブログ上で私のルーツに触れるのには、理由がある。
2019年7月現在、日韓関係に暗雲が立ち込める政情に比例するように、両国市民の反韓・反日感情が増している。
両国間における歴史および政情のもつれによる複雑な事情について、例えばドイツでは戦争の歴史をありのままに子供達に伝えるべく教育制度が充実しているが、そんな恵まれた国に生まれ育っていない限り、事情を深く知り得ようもない一般市民が反日・反韓感情を抱くのは無理もないことと思う。戦争の責任は国にある。参戦国のすべての市民は被害者。大切なのは、過去に起こったことを責め立てることではなく、同じ悲劇を繰り返さぬよう、各国のリーダーが責任を持って政治を進めていくことだと思う。
私自身、高校生まで通称名である姓と日本語読みの名を使っていたし、パスポートを取るまで自分の国籍についてはっきりとは知らなかったくらいだ。当時はまだ在日外国人に対する指紋押捺制度が横行しており、16歳になると区役所に指紋を取られに行った。特に深く追求せず、お役所がすることなのだから変なことではないのだろう、皆同じ義務を果たしているのだろうと信じ、一縷の疑問も抱かず素直に指紋を取られながら一本一本インクに染まってゆく自分の指先を興味深く見つめていた、Sweet 16になったばかりのナイーブな少女。自己憐憫などという侘しい感情を抱くのは私のスタイルに反するが、正直今思えば切ないシーンである。区役所の方々は非常に親切であった。気を使ってくださったのだろう。
日本政府から強要されているわけでもないのに、いまだに通称名を使う在日朝鮮・韓国人が多いのは何故か。その理由について、この場では言葉にしないが、そうせざるを得ない国の在り方に問題があるのは明白だ。そうでなければ、一体全体誰が好き好んで本名ではない名を名乗りたがるであろうか。
アメリカで『通称名』の話をすると、100%皆そろって不思議がり、質問攻めにあう。アメリカ人だけでなく、覚えている限りドイツ人、フランス人、ベルギー人、イタリア人、スイス人、イギリス人、トルコ人、インド人、中国人、カナダ人、タイ人、そして時には韓国人も。日本のことをあまり悪く言いたくない私としては、毎回注意深く説明せねばならず、第2ヶ国語である英語でうまく説明するのは簡単なことではない。
☆在日コリアンの歴史について、わかりやすい説明文を見つけたので、ご興味のある方はこちらへどうぞ。
政情に関係なく、なんだかよくわからないけどとにかく韓国・朝鮮人だから、日本人だからという理由で嫌う人もいるだろう。
私は基本的に、好き嫌いは個人の自由という考えだ。
私自身にだって個人的に苦手な国の文化は存在する。
嫌う理由は個人的なものから偏見に至るまで様々であり、今日明日変えたいと思ったとしても急に変えられるものではない。
ただし、差別意識は育つ過程で植えつけられた偏見によるものだということは確実だ。偏見については、長い話になるのでいつかまた書く気になったときに。


わたしがここで言いたいのは、単に朝鮮人だからという理由だけで嫌う人に自分の意見を押し付ける気は毛頭ないし、それについて何の感情も沸き起こらないということ。あ、そうですか。というフラットなスタンス。
在日朝鮮人という出自の私が書く文章を読みたくない方もおられるかもしれない。そんな方のためにも、ブログを開始して未だ日が浅い今、改めて自分のルーツについて明かしておきたい。強いて言うなら「あいにく、うちの店にはあんたらに振る舞う酒はないんでね。とっとと出てっとくれよ。」みたいな頑固一徹店主的な胸中とでも申しましょうか。
誤解を招かぬよう、もうひとつ。
私自身、相方も含めプライベートで親しくお付き合いさせていただいている友人達の大半は日本人であり、数年に一度は日本を旅する親日家だ。
日本は私の生まれ故郷であり、海を渡り20年以上経た今も変わらず好きな国。
日韓関係が悪化していると耳にするのは胸が痛むこと。一刻も早く関係が改善し、遥か昔に文化交流していた時代のような平和な関係が再び実現することを願って止まない。
憎しみあうことで問題が解決した試しがないことは、私たちはもう充分すぎるほど分かっているはず。
<本日の選曲>
Blonde Redhead – Silently