かけがえのないもの。
それは大抵の場合、失くしてはじめて実感する。
猫を亡くして1年が経つ頃、そのことを実感し色々なことを悔やんだ。
仕事や雑用など後回しにして、もっと沢山撫でてあげたり一緒に遊べばよかった。
とか、
食事時にテーブルの食べ物を奪おうとした猫にベッドルームに入っていてもらい、食事が済んで雑用などしてるうちに猫のことを忘れてしまい、直ぐに部屋から出してあげずに30分くらい独りぼっちにしてしまったこと。
など、後悔先に立たずなこと。
幸い私にはまだ、同居猫達が2匹いる。
いまでは、彼らが食事時にテーブルに乗って来ても、差し支えのない食べ物があれば分け与える。それでも時にはグイグイと躰を押しつけ、しつこく粘る猫を見るたびに、そんな場面に居合わせられる幸せをかみしめる。
これは猫だけでなく、人間にもあてはまる。
長く一緒にいる相手への感謝の気持ちを忘れ、雑な対応をしてしまうことがある。
私には年上の相方がおり、喧嘩などほとんどしたことがなく、とても仲が良い。
それでも時々彼を困らせることがある。特に調子のよくないときには、雑な態度をとってしまうときがある。そして後悔する。
後悔は、先に立つうちにしたい。
人間も動物も植物も、場合によっては物も、存在するもの全てにはそれぞれの寿命があり、別れの時は必ず訪れる。
後悔しない行動をとるのがベストだけど、ときに失敗するのは仕方ない。
だから是非とも、後悔は先に立つうちに。
冒頭の写真は、ロベルト。
ある朝突然ごはんを食べなくなり、病院に連れて行ったけど既に手遅れだった。前日までは元気一杯走りまわっていたのに。それからたったの2ヶ月で、急にいなくなっちゃった。2歳半だった。
あの2ヶ月間は、ロベルトを連れて動物専門の鍼師やレイキ師に会いにいったりとか、目が回るような忙しさで、まるでフィルムを早回ししているかのような毎日なのに、何故か時間がねっとり纏わりつき重たく嫌な感覚でノロノロと過ぎてゆくような、終わりのこない悪夢を見ているような、奇妙な感じを覚える日々だった。
ロベルトはよく喋る子で、陽気で信じられないくらい人懐こく、会う人皆からも大人気だった。
いまごろは虹の橋の袂で他の猫達と楽しく遊びながら、気長にのんびり私のこと待っているのだろうか。
<本日の一曲>
Frankie Valli – Can’ t Take My Eyes Off You